
推理小説——その名のもとに集う物語は、まことに多彩である。
もっともよく知られるのは、シャーロック・ホームズのような名探偵を主役に据えた作品だろう。
鋭い観察眼、膨大な知識、そして物的証拠から真実を紡ぎ出す才覚。
ホームズは、それらを自在に操り、過去に起きた出来事の輪郭を静かに、しかし確かに浮かび上がらせていく。
やがて舞台には、探偵ではない主人公たちも姿を現す。
警察の刑事や警部、あるいは平凡な市井の人。
その視点の違いは、物語の風合いを豊かにし、推理小説というジャンルにいくつもの枝葉を伸ばした。
この世界の醍醐味は、やはり推理の妙にある。
完全犯罪を思わせる事件にも、必ずどこかに綻びや違和感が潜む。
そこに目をとめ、少しずつ手繰り寄せ、やがて犯人を追い詰める——その過程は、読者の心を酔わせる。
ときには、名探偵の前に立ちはだかる知略の高い宿敵も現れる。
ホームズにとってのジェームズ・モリアーティのように。
2人の対決は、物語の緊張を最後まで張りつめさせる。
犯人が途中で明かされるものもあれば、最後に鮮やかな反転劇が待つものもある。
最初から犯人がわかっている倒叙形式も、また一つの妙味だ。
私はこうした作品を、いつも胸を高鳴らせながら読む。
「誰が犯人なのか」、そして「いかにしてその罪を成し遂げたのか」——それを追う旅は、尽きることのない魅力を放つ。
しかし、推理小説の中には、別の光を宿すものがある。
「誰が犯人か」ではなく、「なぜ罪を犯したのか」
その問いを、物語の中心に据える作品だ。
ジョルジュ・シムノンの描くメグレ警視は、その代表であろう。
彼は同僚や部下にこう諭す——「きみ、推理なんかしていてはだめだよ」
メグレが見つめるのは、事件の謎ではない。
人間そのものの、深く静かな謎である。
彼の物語に、華やかな推理の決め手はない。
あるのは、犯罪者や被害者、そして事件に関わる人々の心に寄り添うまなざしだ。
たとえ時代の古い作品であっても、そこには読む者を包み込む温度がある。
メグレ警視シリーズには、「メグレ対犯人」、言い換えれば「作者対読者」の勝負は存在しない。
代わりに描かれるのは、その罪がなぜ生まれたのか。
一見、何の陰りもない人々にも、それぞれ秘めた影がある。
それは、私たちの日常にも重なる。
人は誰しも、嫌な部分や弱い部分を覆い隠す。
その覆いを剝がさなければ、人を真に理解することはできない。
多くの名探偵は変わり者と評され、人の感情を掬い取ることが不得手に見える。
だからこそ彼らは、「どのようにして犯罪が行われたのか」を突き止めることで物語を進め、最後に犯人から動機を吐き出させる。
だが、メグレの物語においては、それだけでは足りない。
動機の奥にある背景、人々の心の襞——それらが丁寧に重ねられ、物語は深みを帯びていく。
今回紹介する「冬そして夜」(S・J・ローザン)も、その系譜に連なる作品である。
2人の私立探偵が交互に主役を務め、互いを支えながら事件を解決していくシリーズの一篇だ。
今回の主人公は探偵ビル・スミス。
ある日、彼の甥がニューヨークの警察に捕まり、なぜか引き取り人にビルを指名する。
事情を聞くと、どうやら両親に黙って家を出たらしいが、理由は語らない。
寝室で休ませようとした矢先、甥は窓ガラスを破り、3階から飛び降り、闇の中へと姿を消した。
こうしてビルは、相棒と共に甥の行方を追うことになる。
物語の表向きの目的は甥の捜索だが、核心は「なぜ彼は家族から逃げたのか」にある。
追跡の末に見えてきたのは、甥が引っ越したばかりの町で起きた軋轢だった。
その町には、よそ者を排除する閉ざされた空気と、高校アメフト部にまつわる特異な掟が息づいていた。
しかも23年前、同じ町で似た事件があったことがわかる。
変わらぬ土地の気質が、再び子どもたちに絶望と悲劇をもたらしていたのだ。
今まさに夏の高校野球の季節。
広島の広陵高校が、部員による下級生への暴力問題を理由に出場を辞退した。
この小説を読むと、きっとこうした現実の出来事とも響き合うだろう。
主人公の内面や相棒との掛け合いも見応えがある。
だがやはり、この物語の醍醐味は「甥はなぜ逃げたのか」という問いをたどる道のりにある。
シャーロック・ホームズなら、きっと瞬く間に甥を見つけただろう。
だが、その背後に潜む「町の本質」は、闇のままであったに違いない。
執筆者
MIRAI不動産株式会社 井﨑 浩和
大阪市淀川区にある不動産会社を経営しています。不動産に関わるようになって20年以上になります。
弊社は、“人”を大切にしています。不動産を単なる土地・建物として見るのではなく、そこに込められた”想い”に寄り添い受け継がれていくよう、人と人、人と不動産の架け橋としての役割を果たします。