
少し前、「あなたの文章は堅い」と指摘を受けた。
柔らかくしようと思っても、その方法はすぐには見えてこない。
ならば、不動産とは無縁のことを書いてみよう――そう思い立った。
とはいえ、題材はすぐには決まらなかった。
考えが霧のように漂うなか、ふと一冊の本が思い浮かんだ。
ならば、この機会に書評をしてみようではないか。
今、人々はスマートフォン越しに言葉を交わす。
指先で軽やかに流れる短い文章、色や行間で飾られた文字。
長文には向かない小さな画面に、工夫という名の装飾が息づく。
その一方で、本の頁は質素だ。
文字の装いは少なく、太字を多用する書物は、むしろ落ち着かない。
柔らかい文体になるかは分からない。
けれど、読み終えたばかりの本があり、手元には少しばかりの時間があった。
試してみるには、悪くない刻(とき)だった。
――最後にこの本を読んだのは、いつのことだったか。
おそらく10年以上前。
初読のとき、私はその読みにくさに耐えられず、冒頭の数ページで匙を投げた。
主人公チャーリィの知能が高まるあたりまで頁を飛ばし、そこから先も展開が見えてしまい、やがて本を閉じた。
「つまらなければ最後まで読む必要はない」――そんな記事をどこかで読んだことも影響していたのだろう。
今回、私は終わりまで辿り着いた。
多くの人が「感動した本」として挙げる作品だが、私には強い感動は訪れなかった。
その「感動の箇所」がどこかは理解できる。
だが、もしチャーリィが現実に現れたなら、自分はどんな態度を取るのだろう――その問いが胸に残った。
登場人物たちは、どこか生々しい。
肯定的に接する者もいるが、表立って守ろうとする者はいない。
家族の物語は、さらに痛ましい。
幼い日の記憶――近所にいた知的障害のある子と、その家族の姿が脳裏に蘇る。
養護学校の教師がこう言う。
「金や物を与える人間は多いが、時間と愛情を与える人間は少ない」
幸福とは、金や物では届かない場所にあるのだろう。
父は知能の上がったチャーリィに気づかず、妹だけが一目で変化を察した。
それは、彼にとってわずかな救いだったのかもしれない。
知能が変われば、人の接し方も変わる。
人は相手を自分と比べ、その距離を測り直す。
もしチャーリィに余裕があったなら、賢く見えぬように振る舞ったかもしれない。
小さい者は大きく見せ、大きい者は小さく見せる――そうやって均衡を保とうとする。
この物語には、明確な救いはない。
けれど、その不在こそが、読む者を深く引きずり込む。
あとがきに、作者が編集者から手直しを求められたときのことが記されている。
もしそこで筆が加えられていたら、私にとっては陳腐な物語になっていただろう。
とはいえ、そのほうが世に広く売れたかもしれない。
人は感動を欲しがるが、作者もチャーリィも、それを望んではいないように思える。
執筆者
MIRAI不動産株式会社 井﨑 浩和
大阪市淀川区で不動産会社を経営。不動産業に携わって20年以上になります。
弊社は“人”を大切にし、不動産を単なる土地・建物としてではなく、そこに込められた“想い”に寄り添い、受け継いでいけるよう、人と人、人と不動産をつなぐ架け橋となることを目指しています。